おはようございます、MAYです。
実は今日は朝貸に行ってきました。
朝貸とはスケートの一般営業前にスケートリンクを貸しきって
曲をかけたりして練習することです。
選手であれば、一人で貸しきりますが
私は団体の中の一人として参加させてもらっています。
いやー、眠い。zzz
大体どこのリンクも朝の6時くらいから空いていて
貸切がとれるのではないでしょうか?
テレビで見る選手(特に日本人選手たち)は
小さいころから毎週のように貸切をとっていたのですね。
きっと朝に強いに違いない。笑
さて、タイトルの話へ。
『選手たちはそんなに器用じゃない』と書きましたが、
結論から言ってしまうと
選手たちは演技に自分の内面、性格がすべて出てしまう
ということです。
スケート見ていて
こんなことを感じたことはありませんか?
『この子繊細そうだな~』
『打たれ弱そうかも』
『雑っぽく感じる』
『すごく情熱的に思った』
『なんか淡白な感じ』
『力強さを感じた』
実は、ある選手から感じ取った印象は
その選手の性格に直結していたりします。笑
実際、何にでも情熱を込める人の演技は
やっぱり情熱的ですし、
何事もひょうひょうとこなしてしまう人の演技は
やっぱり軽さを感じてしまったりするのです。
カラオケとかでもそうです。
感情を込めないでただメロディーに合わせて歌う人の演技は
やっぱり情熱的とは言えず淡白な印象を受けますし
メロディーをはずしてでも全力で歌いきるような人の演技は
ちょっとミスがあっても情熱はひしひしと感じるのです。
やっぱり、性格やその人が元から持っているモノは
演技に出てきてしまうのです。
『私は淡白なほうだけどスケートだけは情熱的に滑りたい』
なんて無理な話なんですね。笑
もともと持っていないものをあるように見せたり
持っているものを消し去ってしまえるほど
選手は器用じゃないんです。
だから、氷の上で繊細な演技がしたいと選手が思えば
その人はオフアイス(氷の上以外の生活)のときから
繊細な人である必要があります。
考えてみれば、
全然面白い事を言ったりする人じゃないのに
全力でコミカルな演技をしろというのは無理がありますよね。笑
というわけで、
スケートにはその人の内面が現れてしまうよ
という話でした。
画像の羽生選手はいかにも情熱がほとばしるような演技をするので
きっと情熱的な性格で、物事に熱くなる人なんだろうな~と
私は思います^^
今度選手を見るときは
そんなことを考えながら見てみてくださいね~
読んでくださってありがとうございました。
興味深いお話いつもありがとうございます。
今日のお話は、フィギュアスケートは単なるスポーツではなく、芸術でもあるということを再認識させて下さいました。
やはり、心に訴えるということは音楽、絵画、演劇、全て共通するものがあります。
羽生選手の場合、技術面だけに限らず、演技者としての一番重要な部分「才能」「要素」を持ち合わせているのですね。
これは、天性のものですから、やはり「努力する天才」と言わざるを得ないんではないでしょうか。
私の知る限りでは、プルシェンコ以来の人だと思います。
あ、それからお忙しい筈ですのに、拙宅ブログに、いつもペタありがとうございますm(_ _)m
ももまるさん、いつもコメントありがとうございます^^
そうですね、私も実際に滑るようになって
一人でリンクの上に立って演技するようになってから
ひしひしとそういうことを感じるようになりました。
ももまるさんのおっしゃるとおりだと思います。
羽生選手の演技には『熱さ』を感じるのです。
それはインタビュー中や練習中の映像を見ても
感じることで、やはり演技に現れるのだな~と
いつも思っています。
『努力する天才』ですか。いいですね^^
十代にして天才の名を欲しいままにした彼が
今後どんな新しい世界を私たちに見せてくれるのか楽しみです。
プルシェンコと羽生君は試合で同じ舞台に立っていないですよね?
いつかそんな日が来ることを期待しています。
いえいえ、こちらこそ^^
いつもありがとうございます。